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自分を偽る方法

英語を話すためには頭の中で翻訳していてはダメで、英語のまま考えることが必要だと聞きました。
ということで、一人でシャワーを浴びている最中に英語で考え事をしてみるのですが、果たしてそれは本当に私の考えたいことなのか?という疑問が浮かび、混乱してきます。
英語で考え英語を話す私は、日本語で考え日本語で話す私と本当に同一なのか?と。
明らかに英語のほうが語彙が少なく、それゆえ表現できることが少ないので、どう考えても同一ではない。


言葉で考えるか?イメージで考えるか?
私は圧倒的に言葉で考えるタイプだと思います。
だからブログとか文章を書くのが好き。子供の頃は作文が得意な方でした。
頭の中をそのまま書き起こせばそれなりの文章になるので。

この思考のプロセスが英会話の上達を邪魔してるな~と感じています。
英語というよりは、会話の妨げになっている気がします。
極端なことを言うと、英単語として知らないものは頭の中にも浮かんでこないというか。
そして英単語を思い出さないと思考が先に進まないので、考えるのに本当に時間がかかる。
(もちろん実際のところ日本語で知っているものは頭の片隅に浮かんでるのですが…)
イメージで考えられればこの無駄なプロセスが必要ないから早いんだろうな~と思います。
まあ今は考えるのに時間がかかるけど、身に着いたらきっと正しい文章が口をついて出る・・・よね?

ところで冒頭の話に戻りますが、英語で思考する自分は本当の自分なんだろうかという疑問。
今のところ、それは本当の自分ではないと思っています。
語彙が少ないだけでなく、表現の方法や考え方の違いをどうしても感じてしまうので。

中学生くらいの頃、海外の小説をよく読んでいたのですが、翻訳された文章は元の文章を正しく表現していないのではないかと感じていました。
だからいつか原文で読めるようになりたいと思ったし、いっそのこと翻訳家を目指そうかと考えたことも・・・(難しそうなのですぐに考え直しましたが笑)

英語を話すことは自分を偽ることのような気がして居心地が悪い。
余計なことを考えない方がいいと頭ではわかっているのですが、一度そう考えてしまうと違和感が付き纏います。
しかもESLなどの会話を強要される場だと、本来の内向的な自分を殺して社交的な自分を演じる必要もあるので、一体いま話しているのは誰?という気持ちに。。。

他にも自分を偽りたくなる瞬間がたくさんあります。でも上手くできなくてもどかしい。
メタルやホラーなどの悪趣味な嗜好は隠した方がいいのかな、とか。
水族館好きなんて言ったら動物虐待を肯定してるか無知だと思われるのかな、とか。
(実際、日本に比べて海外の水族館はエンタメ性が強く生き物の扱いが悪い気がするので私も好きじゃない)
運動やらないしスポーツ観ないしアカデミックな知識は乏しいし政治はわからないし・・・
このままじゃ自己肯定感が下がる一方かも。なんだかなあ。